第 126 話衣服野良着であったはずの一枚が、武家の背に「格」を負って正装へ上りつめた日のこと
〜たやすく着られて働きやすい、それだけの衣が、なぜ武士の誉れを背負うことになったのか〜
直垂というのは、もとはなんということもない、ただの働き着だ。
筒のような袖に、前で合わせて紐で結ぶだけの、いたって素朴な仕立てさ。頭からかぶる衣でもなく、袖を通して胸の紐をきゅっと締めれば、それでもう着られる。野良へ出る者も、荷を担ぐ者も、これを身にまとった。腕がよく動き、腰がよく曲がり、汗をかいてもごわつかぬ。手間のかからぬ、暮らしのための衣だった。貴き人の、裾を長く引いて歩く装束とは、もとより縁のない代物だったのさ。
ところがその働き着が、いつのころからか、武士の背に「格」を負いはじめる。同じ前合わせ、同じ胸紐のままで、布は上がり、家の紋が染められ、やがては畏まった席に出るときの、れっきとした正装になっていく。たやすく着られたはずの一枚が、いつのまにか、着る者の身の証を背負うようになる。
ボクが見てきたのは、その野良着が、ただ働きやすいというだけの衣から、武家の誉れを負う正装へと上りつめていく、その移り変わりだ。動きやすさが、いつしか「武士らしさ」そのものに化けていった、そのあたりのことさ。
◇ ◇ ◇
弘安五年(一二八二年)の秋のことだ。おれは鎌倉の、さる御家人の屋敷に出入りする、仕立て場の下働きだった。
西の海であの大きないくさがあって、まださほど経たぬころだ。世はいくさのにおいを引きずって、武士という者の身の構えが、いやが上にも問われていた。おれの仕える仕立て場へも、近在の御家人衆から、直垂の誂えがひっきりなしに舞い込んでいた。
仕立て場というのは、朝から晩まで布のにおいに満ちている。晒したばかりの麻の青くさいにおい、藍の甕から立つつんとしたにおい、糊を煮る鍋の甘ったるいにおいが、板間の上で混ざりあう。窓からは秋の薄い陽が差して、宙に舞う細かな糸くずを、きらきらと光らせていた。針が布を抜けるときのかすかな音、糸を引き締める指の鳴る音、おれはそういう音を聞きながら、反物を運び、端切れを掃き、湯を沸かす。下働きの一日は、たいていそんなふうに過ぎていった。
外では、谷あいの里の木々が、日に日に色を移していくころだ。海から吹きあげてくる風が、仕立て場の戸を鳴らし、軒の干し布をはためかせる。職人衆は冷えた指を火鉢にかざしては、また針に戻る。誂えの数が多い時分は、灯心の油がもったいないと、暗くなるまで陽の差すほうへ板を運んで縫った。おれは湯を継ぎ足し、反物の重みを腕に覚えながら、この場のすべてが、一枚の衣のために回っているのだと、子ども心に思ったものさ。
ある日、屋敷の若い侍が一人、仕立て場へやってきた。来春に、ひとかどの席へ召し出されるのだという。その晴れの場に着ていく直垂を、新しく誂えたいと言う。
その侍は、まだ頬に若さの残る男だった。框に腰をおろし、膝に手を置いて、これから誂える一枚のことを、少し気負った声で話していた。
おれは正直なところ、首をかしげた。直垂といえば、おれが日ごろ着ている、この継ぎだらけの働き着と、仕立てはまるで同じものだ。前で合わせて紐を結ぶ、ただそれだけの衣ではないか。そんなものを、なにを晴れの装束として、わざわざ誂えるのか。そう思ったのさ。
仕立ての親方は、框の侍にていねいに頭を下げ、寸を測る紐を手に取った。肩から肩へ、背から裾へと紐をあてがい、節くれだった指で、ひとつひとつの寸法を口の中でつぶやいていく。それから、おれの顔を見て、ふっと笑った。
「お前の着ているのと、形はおなじよ。だがな、見ておれ。この一枚に、どれだけの手がかかるか」
その若い侍が帰ったあと、おれは親方に尋ねた。なぜ貴き人の装束のように、裾を引く立派な衣を仕立てぬのか、と。そんな野良着とおなじ形のものを、晴れの場へ着ていって、笑われはせぬのか、と。
親方は、しばらく手を動かしてから、ぽつりと言った。針の先を布にあてたまま、目を上げずに、こう続けたのさ。
「貴き人の装束はな、馬にも乗れぬ、弓も引けぬ。裾を引いて、ゆるりと歩くための衣よ。だが武士は、いざとなれば馬を駆り、弓を引かねばならぬ。腕の動く衣、腰の据わる衣——それでなければならぬのだ。動けることが、武士の構えそのものなのさ。だから、形は変えぬ。変えてはならぬのだ」
おれは、その言葉を、しばらく胸の内で転がしていた。働きやすさを捨てずに、誉れだけを足していく。それが、この一枚のたどってきた道なのだと、おぼろげに分かりはじめていた。野良へ出る者の腕を動かしてきたその仕立てが、そっくりそのまま、いくさ場で弓を引く腕の動きにつながっている。形を変えぬのは、無精でも、もの惜しみでもない。動けることを、捨てぬためだったのだ。
◇ ◇ ◇
その秋から冬にかけて、おれはその一枚が仕立て上がっていくのを、脇でずっと見ていた。
まず布が違った。おれの野良着は、ごわついた麻の一重だ。指でこすれば、ざらりと爪に引っかかる。だが侍の直垂は、丹念に晒し、幾度も砧で打った上等の布を選ぶ。手のひらをすべらせると、ひんやりと吸いつくようで、まるで生き物の肌のようだった。その布の肩から胸へかけて、家の紋が染め抜かれていく。藍の濃いところと淡いところを、職人が筆の先でていねいに置き分け、紋のかたちが、布の上にゆっくりと浮かびあがってくる。
前を合わせる胸の紐も、ただ結ぶための紐ではなくなっていた。組まれた糸が太く、撚りがしっかりとかかって、握ると指の腹に張りが返ってくる。先には房が垂れ、結び目のひとつにまで作法があるのだという。おれが野良着の紐を、ただぐいと引いて結ぶのとは、わけが違った。房の先を指でしごいて整え、左右の長さをそろえてから結ぶ。その一手間のために、職人は何度も結んではほどき、ほどいては結びなおしていた。
親方は、襟の合わせをほんのわずか深くとり、袖の括りをきりりと締めて言った。針を持つ手は休めぬまま、低い声で、こうつぶやいたのさ。
「よいか。形はおなじでも、ここの合わせが乱れていれば、見る者はすぐに気づく。武士は、この一枚の着こなしで、己の構えを見られるのだ。襟がゆるめば、心がゆるんでいると見られる。たかが前合わせ、されど前合わせよ」
おれは、はっとした。同じ前合わせの衣でも、おれが汗を流して着るそれと、侍が畏まって着るそれとでは、もう負っているものがまるで違う。野良着のころは、ただ動きやすければよかった。それが、いつのまにか、着る者の心ばえまで映す鏡になっている。
仕立て上がった直垂を、若い侍が初めて袖を通したとき、おれは思わず息をのんだ。冬の朝の、冷たく澄んだ光の中でのことだ。形はおれの働き着と寸分変わらぬのに、その一枚をまとった侍の背は、すっと伸びて、別人のように見えた。布が人を正したのではない。着る者が、その一枚に己の身を恥じぬよう、背を正したのだ。
侍は、胸の前で紐の房をそろえ、ゆっくりと結び目をつくっていった。指先がかすかにふるえていたのを、おれは見ていた。
「これを着ると、なぜか嘘がつけぬ気がする」
侍は、胸の紐を結びながら、ぽつりとそう言った。
動きやすさのために前で合わせていたはずの紐が、いまでは、己の心を引き締めるための紐になっている。働くための衣が、構えるための衣になっている。同じ一枚が、人の生き方の側へ、そっと寄り添う場所を変えていた。
その年の暮れ、おれは自分の継ぎだらけの野良着を、いつものように頭からではなく、前で合わせて、胸の紐をきゅっと結んでみた。なんということもない、いつもの所作だ。麻のごわつきも、ほつれた裾も、そのままだ。それでも、あの侍の背を思い出しながら結ぶと、不思議と、おれの背まで、すこし伸びる気がした。指先に残る紐の感触が、いつもより、たしかなものに思えたのさ。
形はおなじだ。布も、染めも、おれのものはみすぼらしい。それでも、前で合わせて紐を結ぶというその一点では、おれの野良着も、あの晴れの直垂も、まぎれもなく地続きだった。働く者の衣と、誉れの衣とが、おなじ結び目でつながっている。おれは、それがなんだか、妙にうれしかったのさ。
◇ ◇ ◇
働き着であったはずの直垂が、武家の正装へと上りつめていったのは、世がいくさへ傾き、武士という者の構えが日々問われた、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの仕立て場で見てきた。
たやすく着られて、よく働ける。それだけがとりえだった素朴な一枚が、上等の布をまとい、家の紋を負い、結び目にまで作法を持つようになった。動きやすさはそのままに、その動きやすさそのものが「武士らしさ」と呼ばれ、誉れとされていった。野良の衣が、誉れの衣になったのさ。けれど不思議なことに、形だけは、最後まで、あの素朴な前合わせのままだった。
今では、直垂を着る人を、町なかで見かけることはまずない。前で合わせて紐で結ぶあの衣は、暮らしの中からは、とうに姿を消してしまった。
それでも、とボクは思う。
どこかで、武家の古い装束を目にすることがあったら、その仕立てが、もとはただの働き着とおなじ、前合わせの一枚であったことを、思い出してみてほしい。野良へ出る者の汗を受けとめた素朴な衣が、布を上げ、紋を負い、やがて人の背を正す一枚にまで育っていった。たやすさのなかにこそ、人が「格」を見出していった道のりがある。
直垂は、ただ前で合わせて、紐を結ぶだけの衣だ。袖を通せば、それで着られる。それでも、その一枚には、働くために身にまとった者と、誉れのために背を正した者と、そのどちらの息づかいもが、おなじ前合わせのうちに畳み込まれている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。
参考文献・もっと詳しく
※ 直垂は、もとは前を合わせて胸紐で結ぶ庶民の労働着であったが、活動に適したその仕立てが武士に好まれ、鎌倉のころには武家の日常着から次第に格を備えた装束へと進んでいったとされる。やがて上質な布や家紋を用い、礼の場でも用いられる武家の正装の一つとして整えられていったと伝わる。弘安五年は一二八二年(弘安は一二七八〜一二八八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。
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