脚をつけて、暮らしを箱の中へ畳んだ——衣も書も器も呑みこんだ、渡来の収納箱のこと115道具
道具平安のころ・平安京(左京)読了 約7

脚をつけて、暮らしを箱の中へ畳んだ——衣も書も器も呑みこんだ、渡来の収納箱のこと

散らかった暮らしを、人はなぜ蓋つきの箱に押しこんで、ひと息ついたのだろう

 しまう、というのは、考えてみれば妙なことだ。

 今の暮らしなら、物はしまう場所のほうから決まっている。衣には簞笥たんす、書には棚、こまごました物には抽斗ひきだしが、はじめからあてがわれている。蓋を開ければ片づき、閉じれば消える。物が多いほど、しまう器も増えていく。誰も、それを不思議とは思わない。

 けれど、しまう器そのものがまだ乏しかった頃、人は物を、ただ床に積むしかなかった。衣は重ねて隅に寄せ、書は巻いて転がし、器は布をかけて置いておく。塵をかぶり、湿気を吸い、虫に食われ、踏まれてはじめて、ああこんな所にあったか、と気づく。物を持つということは、その物に始終気を揉むということでもあった。

 そこへ、海を越えて、脚のついた箱がやってきた。唐櫃からびつ、と呼んでいた。蓋のついた箱に、四本の脚を立てたものだ。床から物を浮かせ、蓋で覆い、ひとまとめに抱えこむ。衣も、書も、器も、なんでも呑みこんだ。

 ボクが見てきたのは、その脚つきの箱が、散らかった暮らしを、ひとつずつ箱の中へ畳んでいく、そういう時代のことだ。

◇ ◇ ◇

 寛仁かんにん四年(一〇二〇年)の秋のことだった。われは平安京の左京、とある中流の家に、ひと冬の写しごとを頼まれて、客人のように住みついていた。

 朝晩はもう冷えこんで、庭の隅では虫がか細く鳴いていた。築地の崩れた向こうから、稲を打つ音が遠く届いてくる。そういう、もの寂しい時節だった。

 その家のあるじは、すでに亡い父の蔵していた書を、子のために整えなおしたいという、宗時という名の老人だった。腰を悪くして、もう遠くへは出歩けない。座したまま、一日じゅう書のことばかり案じていた。痩せた指の節は太く、けれど巻物を扱う手つきだけは、いまもしなやかで丁寧だった。

 はじめてその部屋へ通されたとき、われは思わず立ちすくんだ。巻物が、床のいたるところに転がっていたのだ。紐のほどけた巻、湿気で波打った巻、鼠にかじられた端。父の遺した何百という書が、何の順もなく積み重なって、低い山をいくつも作っていた。

 部屋には黴と古い紙の匂いが、淀んだ水のように溜まっていた。しとみを上げても、風は山の裾までしか届かない。陽の差す縁側に近い巻だけが日に灼けて茶ばみ、奥に埋もれた巻はしっとりと湿りを吸っていた。手にとれば、ある巻はぱりりと乾いて端が粉になり、ある巻は指に冷たく吸いついた。同じ紙でも、置かれた場所のぶんだけ、ひと巻ずつ傷み方がちがう。

 「お恥ずかしい」と宗時は言った。父の存命のうちは、どこに何があるか、すべて頭の中にあったのだという。それが、あるじを失ったとたん、書はただの紙の山になった。引けば崩れ、踏めば破れる。探す気力も湧かぬまま、もう幾年も、この山を眺めて過ごしてきたのだと。

 「いちど崩せば、もとの並びが分からぬ」と老人は苦く笑った。「だから手を触れぬまま、こうして眺めておるのです」

 われが写しのために一巻を抜こうとすると、案の定、脇の山がなだれを打って崩れた。乾いた紙のすべる音が、ざらりと畳を這う。慌てて積みなおすそばから、また別の山が傾く。床の上に物を積むというのは、つまりこういうことだ。ひとつ動かせば、すべてが動く。どこにも、物の落ち着く居場所がない。指の先が黒く汚れ、抜いた一巻には埃の輪がくっきりと残っていた。

 数日して、宗時の家に、ひとつの大きな箱が運びこまれた。

◇ ◇ ◇

 四人がかりで担がれてきたそれを、われははじめ、棺かと思った。ひのきの白木で組まれた、丈の高い箱だ。けれど近づいてみると、四隅にしっかりとした脚が立ち、上には観音に開く蓋がついている。蓋には鉄の金具が打たれ、提げて運ぶためのかんまで下がっていた。鐶は担ぎ手が下ろすたび、かちりと低く鳴った。

 唐櫃です、と運んできた職人は言った。海の向こうの様式を写して、京の工人が組んだものだという。床に直に置く櫃とちがって、こうして脚で浮かせるのが渡来のかたちなのだと、職人は脚のあたりを撫でて見せた。節くれだった指が、削りあとの残る木の面を、惚れぼれと辿っていく。蓋を持ちあげると、軸のところがほどよく重く、ことりと小気味よい音を立てて閉じた。釘を一本も使わず、木と木の組みあわせだけで支えているのだという。

 なぜ脚を立てるのか、とわれは尋ねた。職人は少し考えて、湿気でしょうな、と答えた。床は冷えて湿る。じかに置けば、底から湿りが書を傷める。脚で持ちあげておけば、下を風が抜ける。それに、と職人は付け足した。脚があれば、丸ごと提げて運べる。火事のときも、これひとつ担げば、中の物がそっくり助かる。

 なるほど、とわれは唸った。ただ物を入れる箱ではない。湿気から守り、塵から覆い、いざというとき丸ごと抱えて逃げられる——脚のついた一個の箱に、それだけの工夫が畳みこまれていた。

 蓋を開けると、檜の香が立ちのぼった。木の脂のまだ生々しい、青い匂いだ。中はがらんとして、底にもう一枚、浅い盆のような仕切りが嵌めこんである。指でなぞると、合わせ目に紙一枚の隙もない。上の段に薄いもの、下の段に重いもの。ただ物を放りこむための洞ではなく、入れる物の居場所まで、あらかじめ考え抜かれていた。脚といい、蓋といい、この仕切りといい、海の向こうの暮らしが、長い年月をかけて練りあげた工夫が、一個の箱にそっくり畳まれて、京の片隅まで運ばれてきたのだ。

 その日から、宗時とわれは、床の書の山を、ひとつずつ唐櫃へ移しはじめた。

 ほどけた紐を結びなおし、波打った巻を陰でじっくり伸ばし、端のほつれを繕う。湿った巻は火桶ひおけのそばに寝かせ、急がず時をかけて乾かした。一巻ごとに塵を払うと、細かな埃が陽の帯のなかで金色に舞った。手にとるたび、宗時は父の声をひとつずつ思い出すようだった。これは父が幼い日に手習いした手本、これは父が都を離れていた年に書き写したもの。一巻ごとに、短い昔語りがついた。

 「この字の癖は、晩年のものだ」老人は墨のかすれを指でなぞった。「手が震えはじめた頃の……。それでも、書くのをやめなんだ」

 移すあいだに、ひとつ難儀もあった。書の数が、箱の腹より多かったのだ。床にあるときは、いくらでも積み広げられた。それが、箱という限りに区切られたとたん、どれを納め、どれを手放すか、選ばなければならなくなる。宗時は一巻ずつ手にとっては、長いこと迷っていた。膝の上で巻を開いては閉じ、また開く。さんざん迷ったあげく、結局は元の山へ戻してしまう巻も少なくなかった。しまうというのは、選ぶということでもあった。器に限りがあるからこそ、人はようやく、何が大切かを己に問う。床の山は、その問いを、ずっと先延ばしにしていただけだったのだ。

 「不思議なものだ」と、ある日、宗時がしみじみと言った。「ただ箱に入れているだけなのに、紙の山だったものが、父の遺したものに見えてくる」

 床に積まれていたあいだ、書はただの邪魔な紙の山だった。それが、蓋のある箱におさまったとたん、大切に守られるべき物の顔に変わる。しまう、というのは、ただ場所をあけることではないらしい。これは守るに足るものだ、と、しまう手が、物のほうへ言い聞かせているのだ。

 冬が深まる頃には、床の山はあらかた消えていた。障子の外では、初雪のひとひらが音もなく落ちては溶けていた。代わりに、部屋の奥には脚のついた箱が静かに据わって、その白木の中に、亡き父の暮らしのひと揃いが、行儀よく畳まれて眠っていた。蓋を開ければ、いつでも父の声が取り出せる。閉じれば、塵も湿気も鼠も、もうそこへは届かない。

 われが写しを終えて家を辞す日、宗時は唐櫃の蓋にそっと手を置いて、「これで、子に渡せる」と言った。山だった頃は、誰にも継がせようがなかった。箱におさまったいま、はじめて、次の手へ渡せるものになったのだと。冷えた指先で蓋の木目をゆっくり撫でるその所作は、まるで子の頭でも撫でるようだった。脚のついた一個の箱が、父と、子と、そのまた先とを、静かにつないでいくのだ。

◇ ◇ ◇

 唐櫃は、それからも長いこと、暮らしの傍らに据わりつづけた。

 衣を入れれば衣櫃きぬびつとなり、書を入れれば文櫃ふびつとなり、御物を納めれば御櫃となった。何を入れるかで名を変えながら、脚のついたその姿は、貴き家にも、寺の宝蔵にも、ずっと置かれていたと伝わる。後の世の長持ながもちや簞笥のおおもとには、この脚つきの箱の工夫が、ひとつずつ受け継がれていったのだとも言われる。

 今では、しまう器のほうが、暮らしにあふれている。蓋を開ければ片づき、閉じれば消える。あまりに当たり前で、誰も、しまえることのありがたみなど考えない。

 それでも、と思う。床に積みあがった紙の山が、脚のついた箱におさまって、はじめて「父の遺したもの」の顔になった——あの蓋を閉じるときの、宗時の安堵した横顔は、今の簞笥の抽斗ひとつにも、たしかにまだ畳み込まれている。

 散らかった暮らしを、人は箱の中へそっと畳んで、ひと息つく。蓋を閉じれば、大切なものは塵をかぶらず、次の手まで届いていく。脚のついた箱の蓋を、宝物のようにそっと撫でた、あの老人の手を、ボクはまだ覚えている。

参考文献・もっと詳しく

唐櫃(からびつ)は、脚をつけた蓋つきの収納箱で、大陸の様式を写した渡来のかたちと伝わる。床から物を浮かせて湿気を避け、衣・書・器・調度などを納め、鐶をかけて担ぎ運べる器として、平安期の貴族や寺社の暮らしを支えたとされる。入れる物によって衣櫃・文櫃などと呼び分けられ、後世の長持や箪笥といった収納具の源流のひとつとも言われる。脚のない箱は和櫃(やまとびつ)と呼んで区別されたと伝わる。寛仁四年は一〇二〇年(寛仁は一〇一七〜一〇二一年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。

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