第 123 話食粉のほとんどを流し捨てて、なお椀に残った白い塊
〜肉も魚も断つ寺の僧が、粉を水で何度も洗ってまで取り出そうとした、白い嵩のないものとは何だったのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「典座どの、麩をお持ちだと聞いて参じました」
台所の戸口に立ったおれの背には、小麦の入った俵があった。夜明け前に村を発ち、凍った峠をひとつ越えてきた道のりで、肩の紐が肉に食いこんでいた。永享十年(一四三八年)の冬、京のとある禅寺の――典座と呼ばれる、寺の賄いをあずかる場である。
土間は底冷えがして、吐く息は白く凍った。竈には赤々と火が入り、煤けた天井をぼうと明るませている。薪のはぜる音と、釜の湯のたぎる気配だけが、寒のさなかの台所をかろうじて温めていた。台所をあずかる老僧――賢恵どのは、痩せた菜を前にしばらく思案していたが、おれの声に顔をあげた。日に焼けた顔に、深いしわが幾筋も刻まれている。
「村の祝言に、椀に盛れるほどのものが欲しいと申すか」
おれはうなずいた。今年は村の実りが薄く、獣もろくに獲れなんだ。祝言の膳を、菜と豆だけで済ますわけにもいかぬ。粉から取り出すという白い食のことを、村の年寄りが噂に聞きつけて、おれを寺へ差し向けたのだった。懐にしまった俵の目方を、おれは幾度も確かめた。荷を負いなおすたびに紐を握りしめ、これだけの粉から、いかほどの物ができるものか、見当もつかなんだった。村にはもう、これ以上出せる粉はない。
賢恵どのは俵を一目見て、少なそうだとは言わなかった。ただ、こちらへ、と顎で示した。
村と寺のあいだには、長い付き合いがあった。日照りの年には寺の井戸を借り、雪の深い年には寺男が峠の道普請を手伝う。粉を運べば、何かしら知恵を分けてもらえるだろうという見込みが、おれを寺へ向かわせた一因でもあった。ただし今年ばかりは、粉のほかに差し出せるものが、村にはほとんど残っていない。
賢恵どのは、鉢に粉をあけ、水を少しずつ落としながら、こぶしで押すように練りはじめた。粉はやがて一つにまとまり、耳たぶよりも固い、みっしりとした生地になる。指で押すと、ぐ、と鈍く押し返してきた。それを布に包み、桶の水のなかでもみはじめた。もみ洗うたびに桶の水は乳のように白く濁り、生地はひとまわりずつ小さくなっていく。粉がさらさらと流れ出て、水に溶けて消えていくのを、おれは台所の隅から見ていた。冷たさで指先の色が変わっても、賢恵どのの手は止まらなかった。水を汲みなおした桶を運ぶたびに、二の腕にずしりと重みが増し、こぼれた雫が土間で白く凍っていく。水を替えるのは、数えていて七度目だった。指の先はとうに感覚を失い、湯気の立つ竈のそばへ寄っても、しばらくは温まらなかった。

「典座どの、それでは、粉がみな流れてしまいます。持ってきた俵の、半分もなくなりましょう」
思わず声が出た。麦ひと粒を挽くにどれほどの手間がかかるか、村の者なら誰でも知っている。それが目の前で水に溶けていくのを見ては、惜しさが先に立った。
賢恵どのは手を止めずに、静かに言った。
「そこは流せ。手を止めるな」
濁った水を幾度も替えるうち、布のなかの生地は、こぶしほどの白い塊になっていった。さきほどまで握りこぶし二つほどもあった生地が、いまや片手におさまるばかりに減っている。指で押すと、餅のように、むにと押し返してくる。引けば、糸を引くように細くのびた。
その塊を、賢恵どのは蒸籠で蒸しあげた。下で湯をたぎらせ、濡れ布巾にのせて、ふたをする。しばらくすると隙間から白い湯気がもうもうと噴きあがり、台所いっぱいに、ほのかに甘い穀のにおいが満ちた。ふたを取ると、塊は白くつややかに、ひとまわりふっくらとふくらんでいる。
串に刺してあぶれば香ばしいというが、賢恵どのは今日は蒸したままでよい、と言い添えた。
「まずは味を確かめよ」
言われるまま、おれは薄く切った一切れをすまし汁に落とし、口にした。味はたしかにうすい。けれど噛むと、もちりと粘って、汁の味をたっぷりと含んでいる。歯を返すたびに、奥からじわりと出汁がしみ出してくる。豆ばかりの膳に慣れた舌には、思いがけぬごちそうに感じられた。ほのかな甘みさえ、舌に残った。この時分、砂糖などというものは、寺にもろくに無い。だのに、この甘さだ。麦そのものが持つ味に違いなかった。

たまたま居合わせた若い僧が、椀の白い塊をひとつ口にして、ほう、と小さく息をついた。寒のさなか、菜と豆ばかりの膳が続いていたはずだった。賢恵どのは、それでよい、というふうに小さくうなずいただけだった。
これならば、と、おれは思った。祝言の膳に、たしかに厚みが出る。椀の底に沈んだ切れ端まで、汁の味を吸い尽くしていた。
「これだけの俵で、椀に盛れるほどの塊が、幾つ取れましょうか」
おれが問うと、賢恵どのは俵をもう一度検め、指を折りながら数えた。十のうち、残るのは一つか二つ。それだけの粉から、これだけの塊しか取れぬのだと、あらためて知らされた。祝言の膳に並べるには、村中から集めても足りるかどうか、というところだった。それでも、あの味を思い出せば、俵をもう一つ持ち出す家も出てくるだろう。おれは村の顔ぶれを一人ひとり思い浮かべ、頼めそうな家を頭のなかで数えあげた。
「村の入り用が幾つか、先に言え。それだけの俵を、また運んでまいれ」
村の蓄えでは、あと二度分がせいぜいだった。おれはそれで足りるかを思案し、うなずいた。米や麻布とひきかえに、と言いかけたが、賢恵どのは首をふって、粉さえ運べばよい、それだけでよい、と言った。手間賃も、寺への礼も、いっさい取らぬという。ただ、次はもう少し早く来い、水が凍る前のほうが、良い塊が取れる、とだけ付け加えた。日ごとに冷えこみが増していく、この寒の時分ならではの見立てなのだろう。
「利助どのとやら、三日のちに来られよ。祝言に間に合うよう、仕上げておく」
賢恵どのに名を呼ばれ、おれはそれだけで、この頼みが確かに聞き届けられたのだと知った。軽くなった背の俵を負いなおし、来た道を戻る。峠の雪はまだ深かったが、行きよりも足取りは軽かった。村へ戻れば、真っ先に年寄りへ、三日のちに白い塊が届くと告げねばならぬ。祝言の日取りにも、間に合いそうだった。日の暮れる前に村へ着けば、今宵はゆっくり休める。
◇ ◇ ◇
賢恵どのがもみ洗う手の下で、桶の水が乳のように鳴っていた、あの音は、台所からほとんど消えている。粉が流れ去るたび桶の底で立っていた、あのさらさらという音も、いまはどこにもない。いま聞こえるのは、袋の口を裂く、乾いた音だけだ。ボクの耳の奥では、消えたはずの水音のほうが、まだ鳴りやまずにいる。
参考文献・もっと詳しく
※ 小麦粉を水で洗って澱粉を流し去り、残った蛋白質の塊(生麩)を蒸し焼きにした食は、肉食を避ける禅宗の寺院の精進料理のなかで磨かれていったとされる。粉のなかの粘りのところだけを取り出すこの製法は、大陸から伝わった精進の知恵を背景に、中世の禅寺の台所で広く用いられたと伝わり、やがて寺院の外の里の膳や祝いの料理にも取り入れられていったという。永享十年は一四三八年(永享は一四二九〜一四四一年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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