小麦の蒂だけを取り出した白い食が、肉を断つ寺の膳から里の祝いの椀へ移っていった日のこと123
室町のころ・京の禅寺読了 約8

小麦の蒂だけを取り出した白い食が、肉を断つ寺の膳から里の祝いの椀へ移っていった日のこと

肉も魚も断つ寺の僧が、粉を水で何度も洗ってまで取り出そうとした、白い嵩のないものとは何だったのか

 というのは、小麦の粉から、ねばりのところだけを取り出して固めた食べものだ。

 もとをただせば、ただの粉さ。小麦を挽いて水で練れば、どこの里にもある、ありふれた生地になる。ところがその生地を、布に包んで水のなかで根気よく洗っていくと、白いおりがさらさらと流れ去り、あとに、餅のように粘る塊だけが残る。粉のなかの、いわばへたのところだけが、手のひらに残るのだ。これを蒸し、あるいは焼いて、椀ものや煮物に仕立てる。それが麩だった。

 かさもなく、味もうすい。それだけ見れば、わざわざ手間をかけて取り出すほどのものとも思えない。けれど肉も魚も断たねばならぬ人々にとって、この白い塊は、椀に厚みと滋味をあたえる、得がたいものだった。

 ボクが見てきたのは、その手間のかかる白い食が、肉を断つ寺の知恵として磨かれ、やがて寺の塀をこえて、里の祝いの膳までを彩るようになっていく、その移り変わりだ。精進のための工夫が、いつしか暮らしのごちそうへと育っていった、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 永享えいきょう十年(一四三八年)の冬のことだ。おれは京の、とある禅寺の台所――典座てんぞと呼ばれる、寺の賄いをあずかる場で、下働きをしていた。

 冬の台所は、まだ暗いうちから動きだす。土間は底冷えがして、吐く息は白く凍った。井戸から汲んできたばかりの水は、手を切るほどに冷たい。かまどに火を入れると、けた天井がぼうと明るんで、湯気がゆらゆらと立ちのぼる。薪のはぜる音と、釜の湯のたぎる気配だけが、寒のさなかの台所をかろうじて温めていた。

 寺では、肉も魚も口にしてはならぬと定められていた。膳にのぼるのは、菜と豆と、穀のものばかりだ。寒のさかりともなると、菜は痩せて根ばかりになり、豆がつづく。修行の僧たちは、それでも文句ひとつ言わず箸をとっていたが、台所をあずかる老僧――賢恵けんえどのは、薄い膳を前にして、いつも何やら思案していた。痩せた菜をためつすがめつ眺めては、ふむ、と低くうなる。その横顔を、おれは飯炊きのかたわらから横目で見ていた。

 その朝のことだ。賢恵どのが、おれに小麦の粉を山ほど練らせた。鉢に粉をあけ、水を少しずつ落としながら、こぶしで押すように練れと言う。練りはじめると、粉はやがて一つにまとまって、耳たぶよりも固い、みっしりとした生地になった。指で押すと、ぐ、と鈍く押し返してくる。なお練りこむうち、生地は手のひらにしっとりと吸いついて、つやを帯びてきた。賢恵どのは、おれの練る手もとをじっと見ていて、まだ足りぬ、もう少し、ともの静かに言いそえる。練った生地を、こんどは布に包め、おけの水のなかでもみ洗えと言う。おれは言われるまま、冷たい水へ手を入れて、生地をもみつづけた。

 水は、たちまち白く濁った。粉がさらさらと流れ出ていく。もみ洗うたびに桶の水は乳のように白くなり、生地はひとまわりずつ小さくなっていった。生の麦の、青くさいような匂いが、冷えた手もとにほのかに立ちのぼる。

 「旦那さま、これでは粉が、みな流れてしまいます。もったいのうございます」

 おれは、たまらず声をあげた。せっかく挽いた粉が、目の前で水に溶けて消えていくのだ。下働きの身には、それが惜しくてならなかった。麦ひと粒を挽くにもどれほどの手間がかかるかを、よく知っていたからだ。

 賢恵どのは、手を止めずに、静かに言った。

 「流れていくものは、捨ててよいのだ。残るものを、見ておれ」

 濁った水を幾度も替え、もみつづけるうち、布のなかの生地は、こぶしほどの白い塊になっていった。さきほどまで握りこぶし二つほどもあった生地が、いまや片手におさまるばかりに減っている。指で押すと、餅のように、むにと押し返してくる。引けば、糸を引くように細くのびた。粉のなかの、粘るところだけがそっくり残ったのだ。

 「これがな、麩のもとよ」と賢恵どのは言った。「肉を断つ身には、これが力になる。粉の、いちばん芯のところだけを、こうして取り出すのだ」

◇ ◇ ◇

 その塊を、賢恵どのは蒸籠せいろで蒸しあげた。下で湯をたぎらせ、塊を濡れ布巾にのせて、ふたをする。蒸す前に、賢恵どのは塊を二つに分けて、片方にだけ近くの里でとれるよもぎの葉をすりまぜた。すりまぜたほうは、ほんのりと青みを帯びて、野の匂いがたつ。しばらくすると蒸籠の隙間から白い湯気がもうもうと噴きあがり、台所いっぱいに、ほのかに甘い穀のにおいが満ちた。ふたを取ると、塊は白くつややかに、ひとまわりふっくらとふくらんでいる。それを薄く切り、すまし汁へ落とすと、汁を吸ってやわらかにほどけた。蓬のほうは、椀のなかで春の野のような淡い緑になり、目にも涼やかだった。

 おれは、おそるおそる一切れを口にした。

 味は、たしかにうすい。けれど噛むと、もちりと粘って、汁の味をたっぷりと含んでいる。歯を返すたびに、奥からじわりと出汁だしがしみ出してくる。豆ばかりの膳に慣れた舌には、それが思いがけぬごちそうに感じられた。肉のひと切れもないのに、椀の底にたしかな厚みがある。寒さで芯まで冷えた体に、その温もりがじんとしみ通った。腹の底が、ほうと一つゆるむ心地がした。なかほどはふっくらと、外のあたりはほんのもちもちとして、ひと切れのうちにいくつもの歯ざわりがある。汁を吸えば吸うほどやわらかくなって、最後はとろりと舌の上でほどけていく。これがただの粉から取り出したものだとは、おれにはしばらく信じられなかった。

 「のう、賢恵どの」と、おれは尋ねた。「これは、もとは異国の食でございますか」

 台所のあいだでは、こうした粉の食いようは海をこえて伝わってきたものだ、と言う者があった。寺には宋や元の地で学んできた僧も多く、彼らが持ち帰った精進の知恵が、台所にはいくつも息づいていると伝わっていた。湯を立てて茶を点てる作法も、豆をすりつぶして固める術も、みなそうした学びのなかから来たものらしい。

 賢恵どのは、汁の鍋を見つめたまま言った。

 「どこで生まれたかは、おれにも分からぬ。だが、肉を断つ者が、肉に代わる滋味をさがすうち、たどりついた知恵であることは、たしかであろうな。断つということは、ただ我慢することではない。断ってなお、膳をゆたかにする工夫を、こうして編み出すことだ」

 その冬、おれは賢恵どのについて、来る日も来る日も麩を打った。粉を練り、洗い、蒸し、焼く。手のかかる仕事だった。練りが足りねば塊はまとまらず、洗いが甘ければ澱が残ってにごる。水の冷たさに手がかじかみ、爪の先が割れて、桶の水にうっすらと血がにじむこともあった。それでも、洗いあげた塊が蒸籠のなかで白く張ってふくらむのを見ると、不思議と疲れが引いた。焼いた麩は、表に淡いきつね色の焦げをまとって香ばしく、煮物にしてもくずれぬ。串に刺してあぶれば、ぷくりとふくれて、こうばしいにおいが土間に流れた。一度に打てるのはわずかな量で、朝に仕込んだものがその日の膳でなくなってしまう。それでも賢恵どのは、けっして数を惜しまなかった。寺の膳は、白い麩のおかげで、寒のさなかにもどこか華やいだ。修行の僧たちが薄い膳のなかでそれを箸につまみ、ほう、と息をつくのを、おれは台所の隅から、ひそかな誇りとともに見ていた。

 あるとき、おれは賢恵どのに尋ねた。たかが粉から、これほど手間をかけて、なぜ白い塊ひとつを取り出すのか、と。

 賢恵どのは、洗い桶の水を替えながら、こう言った。

 「膳がつつましいときほど、手をかけるのだ。手をかけたものを、ありがたく頂く。それが、肉を断つ者の道楽というものよ。粉は流れて減るが、減ったぶん、椀には心がのる」

 心がのる、という言いようが、おれにはしばらく分からなかった。だが幾冬かを台所で過ごすうち、その意味がじわりと胸に落ちてきた。冷たい水に手をひたし、流れ去る白い濁りを見送り、わずかに残る塊を両手で受けとめる。その繰り返しのなかに、たしかに何かが宿っていくのだ。麩を一切れ椀へ落とすたび、おれは賢恵どのの、あのかじかんだ手を思い出すようになった。

◇ ◇ ◇

 その白い食が、寺の塀のうちだけにとどまらなくなるのを、おれはやがて目にした。

 寺へ出入りする里の者が、台所で麩を見おぼえ、わが家でも打つようになったのだ。薪を納めにくる男や、菜を運ぶ女房たちが、おれの手元をのぞきこんでは、洗いようや蒸しようを覚えて帰った。やがて里のほうから、法事のあるたびに「あの白いものを分けてくれぬか」と頼まれるようにもなった。法事の膳に、祝いの椀に、白い麩がそっと添えられる。肉も魚も使わぬのに、椀にひとつ浮かんでいるだけで、膳があらたまって見える。寺の精進の知恵が、塀をこえて、里の暮らしへ静かに移っていった。

 はじめは肉を断つための工夫だったものが、いつしか、めでたい日のごちそうになっていく。断つことから生まれた白い食が、人をもてなす心へと、形を変えていったのだ。

 今では、麩はどこの店先にもある。色をつけ、花や紅葉の形に押し抜いた愛らしいものまで、椀に浮かんでいる。それを、肉を断つ寺の知恵だと思って口にする者は、もう、そう多くはない。

 それでも、とボクは思う。

 椀のなかに、白い麩がひとつ浮かんでいるのを見たら、その白さの奥に、冷たい水で粉を洗いつづけた者がいたことを、すこし思ってほしい。流れ去る粉を惜しんだおれに、「残るものを見ておれ」と言った老僧がいた。断ってなお膳をゆたかにしようとした、その工夫が、長い時をかけて、里の祝いの椀にまでたどりついた。

 麩は、椀の底で、ただ汁を含んでふくらんでいるだけだ。噛めば、もちりと、味のうすい白さがほどけるばかりさ。それでも、そのひと切れには、粉の芯だけを根気よく取り出し、つつましい膳をゆたかにしようとした人々の、長い工夫が染み込んでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

小麦粉を水で洗って澱粉を流し去り、残った蛋白質の塊(生麩)を蒸し焼きにした食は、肉食を避ける禅宗の寺院の精進料理のなかで磨かれていったとされる。粉のなかの粘りのところだけを取り出すこの製法は、大陸から伝わった精進の知恵を背景に、中世の禅寺の台所で広く用いられたと伝わり、やがて寺院の外の里の膳や祝いの料理にも取り入れられていったという。永享十年は一四三八年(永享は一四二九〜一四四一年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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