邸にこもっていた女が、はじめて山道を踏んだ第 121 話宗教
宗教平安のころ・山城(京から長谷へ)読了 約6分

邸にこもっていた女が、はじめて山道を踏んだ

〜壁の内に暮らす女たちは、なぜ寺へ詣でる道を、あんなに待ちわびたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 さきは、生まれてこのかた、邸の外を歩いたことがなかった。

 永承五年(一〇五〇年)の春、京にあるさきの仕える邸に、大和の長谷はせへ詣でるという話が持ちあがった。御簾の内で文をしたため、琴を爪びき、庭の桜の移ろいを数えるだけの日々を、さきは十九の年まで送ってきた。

◇ ◇ ◇

 邸の女たちのはしゃぎようは、ただごとではなかった。日和を占い、潔斎けっさいの日を数え、道中の沓や被衣かずきをあらためては、また仕舞いなおす。さきだけが、その輪のはしで、まだ見ぬ道のことを思いえがけずにいた。

 出立の朝、さきは、はじめて履く沓に、幾度も足もとを確かめていた。新しい藁の匂いが、まだ抜けていない。

 「これで、正しゅうございますか」

 さきが、荷をくくるわれへ問うた。われは手を止め、鼻緒の位置を指で示し、こう答えた。

 「もそっと、指のつけねで挟むがいい。踵で蹴るように歩けば、山でも足がもつ」

 言葉より先に、われ自身の足を一歩、地に踏んで見せた。さきは、そのとおりに沓を履きなおし、門の閾しきいをまたぐとき、ほんの一瞬ためらい、それから思いきったように、外の土へ降りた。

 京を出て、ほどなく田の道にかかる。

 「土が……柔らかいのですね」と、さきが小さく言った。築地ついじの内の、掃ききよめられた庭の土とはちがう。雨を吸い、人と牛に踏まれた、生きている土だ。沓の裏がわずかに沈み、また押しかえしてくる。

 やがて川に行き当たり、舟に乗った。さきは舷ふなべりをかたく握りしめ、はじめは水面をのぞくのも怖がっていた。舟底を打つ水の音、櫂のきしみ、船頭のかけ声。揺れるたびに、ちいさく息を呑んでいる。けれど対岸に着くころには、流れに散る日の光を、飽きずに見つめていた。掌のなかへ、こぼれた光をすくおうとでもするように、水面へ手を伸べかけて、やめた。

 道のかたわらでは、田を打つ男がいた。畦には、名の知れぬ黄色い花が咲き乱れ、雲雀が高く啼いている。邸の庭にも花は咲くが、誰の手も入らぬところで好き勝手に咲く花を、さきは生まれてはじめて目にしていた。

 道の土は、都のどこも大和のどこも、踏めば似た匂いがする。ただ、この土地の土は、雨の乾き方だけがちがった。都大路なら一日で乾く土が、ここでは二日、三日と湿りを持ちこたえる。われは、そのことだけを、ひとり胸のうちで数えていた。

挿絵:道の土は、都のどこも大和のどこも、踏めば似た匂いがする

 市のはずれを過ぎれば、店先には干物や塩が並び、さきには見たこともない器も並んでいた。生魚と潮の匂い、煮炊きの煙、人いきれ。物を売る声、牛を追う声、子の泣く声。邸の奥の、しずもりかえった刻とはちがう、人の世のざわめきが、道いっぱいに満ちていた。物乞いの子が、痩せた手をさし出してくる。さきは少しおびえ、それから袂をさぐって、握り飯をひとつ、その手にのせた。

 日が高くなるころ、一行は道端の木陰に荷を下ろし、遅い朝餉をとった。粟あわの飯に干魚を添えただけの、質素な膳だった。さきは、邸で口にしていた膳とはまるで違うそれを、幾度も嚙みしめるようにして食べていた。腰を上げるとき、まだ半分も進んでいないと聞かされても、さきの顔に疲れよりも張りが勝っているのを、われは見ていた。

◇ ◇ ◇

 日が傾けば、見知らぬ里の宿に草鞋を脱いだ。板の間は冷え、夜具は薄く、邸の臥所ふしどとはくらべものにならない。それでも女たちは、火桶ひおけを囲んで、夜どおし語りあった。炭のはぜる音と、女たちのささめきとが、せまい板の間にこもる。昼の道で見たもの——川を渡る舟の揺れ、市の店先に並んだ器の形、物乞いの子に握り飯を分けてやったこと。邸にいては、けっして口にのぼらぬような話ばかりが、宿の灯のもとで尽きることなく続いた。

 足の豆をいたわりあい、明日の峠を案じあい、それでいて、誰の顔も、どこか弾んでいた。さきは、はじめのうち、その輪の隅で黙って聞いていた。膝を抱え、火桶の炭の色を見つめている。けれど幾晩か重ねるうちに、ぽつり、ぽつりと、昼に見たものを口にするようになった。

 「今日の峠の、あの楓の若葉が……邸のどの絵よりも、きれいでございました」

 そう言うときの声が、邸で聞いた琴の音より、ずっと弾んでいた。火に照らされた頬が、ほんのり赤らんでいる。

 「幾度となく、こうした道をゆかれるのですか」

 さきが、ふと、われに問うた。われは、はぜる火桶の炭へ目をやったまま、しばらく黙っていたが、やがてこう答えた。

挿絵:さきが、ふと、われに問うた

 「祈りだけなら、里にいてもできる。だが、この足で運んだ道のりのぶんだけ、願いは重うなる」

 それだけ言うと、われはまた黙って、炭のはぜる音を聞いていた。さきは、その言葉を、幾度も胸のうちで繰りかえしているふうだった。

 道はやがて、初瀬はつせの山へとかかる。木の根が段をなし、苔のむした石が足をすべらせる。木々のあいだから差す光は青く、土の匂いはいよいよ深い。鶯が、どこか高いところで鳴いている。谷の底のほうから、鐘の音が、途切れ途切れに届いた。さきは裾をいっそう高く括り、額に汗を浮かべて、ひと足ひと足、登っていった。息が上がっても、足を止めようとはしなかった。

 長谷の御寺は、谷を見おろす高みに、長い登廊のぼりろうを抜けて建っていた。石段をのぼりきったさきは、欄に手をかけて、来た道のほうを振りかえった。幾重にも重なる春の山が、霞の奥まで、どこまでも続いていた。京の邸は、もう、あの霞のずっとむこうにある。

 被衣は、いつのまにか、肩へ落ちていた。ほつれた髪が、頬に貼りついている。御簾の内で季節を数えていた女の顔は、もう、どこにもなかった。

 御堂に上がり、十一面の御前にぬかずいて、女たちは思い思いに願をこめた。堂のうちは薄暗く、灯明とうみょうのゆらぎと香の匂いが満ちている。さきが何を祈ったのか、われは知らない。ただ、合わせた手をなかなか解こうとしなかった、その横顔だけを覚えている。

 願をこめ終えると、女たちは、来たときよりも軽い足取りで登廊を下った。屋根を渡る風に、灯明の香がまだ纏わりついている。

 帰り道、さきは、もう怯えてはいなかった。ぬかるみを来た裾は泥にまみれ、足には豆をこしらえていた。それでも、行きには黙って俯いていた峠の道を、帰りには自分から先に立って、楓の若葉を指さしては、後ろの女房たちを呼びとめた。

 「ごらんなさいませ、あの谷の桜を」

 声まで、はずませて。

 京へ戻り着いたのは、発ってから六日目の夕暮れだった。門をくぐるさきの足取りは、出立の朝のそれとはまるで違っていた。ためらいも、それを隠す強張りも、もう見えなかった。荷を解く手つきさえ、六日前より慣れて見えた。門番の誰何にも、臆せず名乗って応じていた。邸の奥へ戻ってなお、その足には、道のりの土がまだこびりついていた。

◇ ◇ ◇

 それから幾年か過ぎたころ、都大路で、うしろから聞き覚えのある声がした。

 振りむけば、さきだった。連れの女房に、峠の楓の色を、身ぶりまじりに語って聞かせている、よく通る声だった。御簾の内でしか物を言わなかったころの声とは、もう、別人のように張っていた。

 われは、名乗りもせず、その声だけを聞きながら、道の端をすれ違った。

参考文献・もっと詳しく

※ 物詣で(ものもうで)は、寺社へ参拝するための外出をさし、平安期には長谷(初瀬)・石山・清水・熊野などが女性をふくむ参詣者を集めたとされる。家内にこもりがちな貴族女性にとって、詣では信仰の行為であると同時に、外界に触れ旅情を味わう数少ない機会でもあったと伝わり、『蜻蛉日記』『更級日記』などに、その道中の見聞がこまやかに記されているという。長谷観音への信仰は霊験譚とともに広く知られ、後世の参詣文化の源流のひとつとも言われる。本話の人物・会話・情景は創作。永承五年は一〇五〇年(永承は一〇四六〜一〇五三年)。長谷は大和国、京から南へ下る初瀬の地として用いた。

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