牛が一歩あゆむごとに、簾の奥の人は地から離れていった——車が身分を語る乗り物になるまでのこと120道具
道具平安のころ・京(平安京)読了 約8

牛が一歩あゆむごとに、簾の奥の人は地から離れていった——車が身分を語る乗り物になるまでのこと

大路で道をゆずる者たちは、いったい牛を見ていたのか、それとも簾の奥を見ていたのか

 乗り物というのは、つきつめれば、人をどこかへ運ぶための箱だ。

 今の暮らしなら、券を一枚買えば、誰でも同じ座席にすわれる。前の人も後ろの人も、同じ速さで、同じ景色のなかを運ばれていく。どこの誰がどこに乗ろうと、誰もふしぎとは思わない。運ぶという仕事に、身分の高い低いはもう貼りついていない。

 けれど、人を運ぶ箱が、運ぶだけのものでなかった頃が、長くあった。何に乗っているか、どんな車に乗っているかが、そのまま、その人が何者であるかを語っていた頃が。車はただ進むのではなく、まわりの者に道をゆずらせ、頭を下げさせながら進んだ。乗るとは、地の上を、ひとより高く運ばれることだった。

 牛に曳かせる車を、牛車ぎっしゃといった。ながえという長い棒の先に牛をつなぎ、ゆっくり、ゆっくりと、大路を引いていく。馬のように駆けるわけではない。むしろ、じれったいほど遅い。それでも、やんごとなき人ほど、この遅い箱を選んだ。

 ボクが見てきたのは、その遅い車が、京の大路を、ひと一人の値打ちを乗せて進んでいく、そういう道のことだ。

◇ ◇ ◇

 治暦じりゃく二年(一〇六六年)の春のことだった。われは京で、ある殿上てんじょうの家に雇われ、牛飼童うしかいわらわたちの世話やら、車の置き場の掃除やらをして暮らしていた。

 車を納める車宿くるまやどりは、いつも薄暗かった。土間にが敷かれ、牛の息と糞の匂いと、木の油の匂いがまじり合っている。軒の隙間から差す光に、埃がゆっくりと舞っていた。その薄明かりのなかに、檳榔びろうの葉を細く裂いて葺いた車が一輌、黒々と据えられていた。近づくと、葉の一本いっぽんが手のひらに乾いて、かさかさと鳴る。これを葺くだけで、幾人もの手が幾日もかかると聞いた。乗り物というより、人の手間そのものが、そこに形になって置かれているようだった。

 その家の牛飼に、安丸という年かさの男がいた。背の曲がった、無口な男で、牛のことになると別の人のように雄弁になる。手は太く節くれだって、爪のあいだにはいつも牛の毛と泥が入りこんでいた。われが轅のつなぎ目を、布に灰をふくませて磨いていると、安丸はよく、そばにしゃがんで牛の鼻面を撫でながら、ぽつぽつと話をした。撫でられた牛は、湿った大きな目を細めて、ふうと鼻を鳴らす。

 「車ってのはな、牛で決まるのよ」と安丸は言った。「速い牛がいい牛じゃねえ。同じ調子で、いつまでも乱れずに歩ける牛が、いちばん値が張る」

 はじめ、われにはその意味がわからなかった。速いほうがよかろう、急ぐ用なら馬に乗ればよかろうと、口に出して言った。安丸は、ふんと鼻で笑った。

 「急ぐ御方はな、牛車になんざ乗らねえ。牛車に乗るのは、急がねえってことを、まわりに見せる御方さ」

 そう言って安丸は、轅と牛をつなぐかせの具合を、指でこつこつと確かめた。つなぎが固すぎれば牛の肩がこすれ、緩すぎれば車が左右に泳ぐ。その加減ひとつで、すだれの奥の揺れが変わるのだという。われには見ただけでは何ひとつわからぬその差を、安丸は手の腹で読み取っていた。轅をひと撫でして、ここがわずかに反っている、湿りで木が動いたと、つぶやくように言う。日に当てて乾かせばまっすぐにもどるのだと、その木の癖まで、長い年月のあいだに体で覚えこんでいるようだった。われが同じところを撫でても、ただ冷たい木の肌が手に触れるだけだった。

 その言葉の値打ちを、われはその年の賀茂の祭で、はじめて目のあたりにした。

 祭の日の大路は、車であふれていた。物見に出た公達きんだちの車、女房たちの乗った車が、見物のよい場所を取ろうと、隙間なく並んでいる。車輪が石を踏むぎいぎいという音、牛の低い唸り、供の者の掛け声が、朝の埃っぽい光のなかで重なり合っていた。簾の下から、色を重ねた袖の端が、こぼれるように垂れている。萌黄もえぎ、紅、薄色——重ねの一枚いちまいが、風にかすかに揺れていた。袖の色の重ねかた、簾の編みよう、車の軒に巻いた装いの一つひとつが、乗り手の家柄や位を、声に出さずに語っていた。誰も名乗りはしない。ただ、車が、その人の代わりにすべてを告げていた。

 われは安丸の牛を引いて、主の車をその列のなかへ進めた。前へ出ようとした途端、横あいからべつの車が、轅をぐいと割り込ませてくる。木と木のぶつかる鈍い音がして、たちまち、車と車のあいだで、声を荒らげる供の者たちのいさかいが起こった。轅がきしみ、簾が大きく揺れ、牛が驚いて足を踏み変える。誰かの牛が糞を落とし、誰かが舌打ちをした。場所の取り合いは、そのまま家と家の格の張り合いだった。誰の車が前に立つか、それが、誰の家が上か、ということだったのだ。

 いさかいのあいだ、安丸はひとり、落ちついて牛の鼻面を撫でていた。耳もとで何か低く囁いて、手綱をほんの指一本ぶんだけ引く。牛をなだめ、わずかに退かせ、相手の轅をやり過ごして、また同じ調子で前へ出る。声を張りもせず、争いもせず、ただ牛の歩みだけで、するりと、よい場所へ車を据えてしまった。車輪はひとつも跳ねず、簾はほとんど揺れなかった。

 「ほら見な」と安丸は、息も乱さずに言った。「乱れた車は、それだけで負けだ。簾の奥の御方は、外のいさかいなんざ見ちゃいねえ。ただ、揺れねえ車に乗っていられりゃ、それでいい。揺らさねえのが、おれたちの仕事よ」

◇ ◇ ◇

 その日の帰り道、人の波が引いたあとの大路を、われは安丸とならんで、空の車を引いて歩いた。日中の熱がまだ土にこもって、足の裏がほのかに温かい。

 「なあ安丸」と、われは聞いた。「あの簾の奥の御方は、祭を、ちゃんと見られたのかね。あんなに揺れて、押されて」

 安丸はしばらく黙って、それから、はじめて聞くような、やわらかい声で言った。

 「見えてなくたっていいのさ。あの御方は、見にきたんじゃねえ。見られにきたのよ」

 見られにきた。その言いかたが、妙に胸に残った。簾の奥の人は、祭を見物にきたのではない。あの車に乗った自分を、大路じゅうの者に見せにきたのだ。誰の家の、どれほどの位の御方が、どんな車で出ておられるか——それを人々に見せ、ささやかせること、それ自体が、出かける用の半分だったのだ。乗ること、運ばれること、見られること。その三つが、いつのまにかひとつに溶けていた。

 牛が、ぽく、ぽくと、石を踏んで歩く。ひづめの音が、暮れかかった大路に間遠に響いた。日が傾いて、空の車の軒が、長い影を地に落としていた。

 「けどな」と安丸は、影を踏みながら続けた。「乗ってる御方は、案外かわいそうなものよ。地べたを、自分の足で歩けねえ。雨に濡れることも、土の匂いを嗅ぐこともねえ。簾一枚で、いつも世間と隔てられてる。高く運ばれるってのは、そういうことさ。車が立派になればなるほど、御方は、地から遠くなっていく」

 安丸は、自分の足の裏で土の温みを確かめるように、わざとゆっくりと踏みしめて歩いた。われも、まねて踏んでみた。昼の名残りの熱と、ところどころに残る水気とが、足の裏から伝わってくる。これを、あの簾の奥の人は、もう長いこと知らずにいるのかもしれなかった。

 われは、簾の奥の薄暗がりを思い浮かべた。色を重ねた袖の、その奥の顔を、われは祭のあいだ、一度も見なかった。見えなかったのではない。見てはならぬものだったのだ。高い人ほど、顔を隠し、簾の奥に深く沈み、声の代わりに車を語らせる。立派な箱に乗るというのは、自分という生身を、その箱の奥へしまい込むことでもあったらしい。袖の色だけが外に出て、人そのものは、奥の闇に隠れている。

 牛が一歩あゆむごとに、簾の奥の人は、すこしずつ、地から離れていく。われはその夕暮れ、安丸の引く遅い牛のうしろを歩きながら、運ぶための箱が、いつのまにか、人の値打ちそのものを乗せる箱になっていることを、ぼんやりと思った。

 置き場に車を納めると、安丸は牛から枷を外し、の水を汲んで、汗ばんだ背と脚を布で拭ってやった。それから牛をねぎらうように、長いこと鼻面を撫でていた。「ご苦労さん。よく、揺らさなかったな」。牛にだけは、その日いちばんやわらかい声をかけるのだった。乗っていた人にではなく、曳いた牛にこそ、その声は向けられていた。

◇ ◇ ◇

 牛車は、それからも長いこと、京の大路をゆっくりと進みつづけた。

 誰が前に立つか、どの車が格上か。その争いは、後の世の物語にも書きとめられて、車の場所をめぐって供の者がいさかう一段が、語り草になったとも聞く。乗るものが、乗る人の身分をそっくり語ってしまう——それは、牛車にかぎった話ではなかったのだろう。

 今では、券を一枚買えば、誰もが同じ座席にすわれる。牛の歩みを待つ者もいない。簾の奥に身分を隠す者もいない。乗り物は、ようやく、運ぶだけのものにもどった。

 それでも、と思う。立派な車を見て、人が思わず道をゆずってしまう、あの心の動きは、今もどこかに畳み込まれている。何に乗っているかで、人の値打ちをつい測ってしまう——その癖を、人はまだ、すっかりは手放せずにいる。

 高く運ばれるほど、地から遠くなる。安丸のあの言葉を、ボクは今でもときどき思い出す。よい乗り物とは、いったい、乗る人を高くするものなのか、それとも、揺らさず地に近く運ぶものなのか。あなたが今日、揺られて運ばれた箱は、どちらだったろうか。

 空の車を引きながら、牛の鼻面にだけやさしい声をかけた、あの背の曲がった牛飼の横顔を、ボクはまだ覚えている。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

牛車(ぎっしゃ・うしぐるま)は、牛に轅をつないで曳かせた乗り物で、平安期には貴族の主要な乗り物として広く用いられたとされる。車の様式や装いには厳しい格式があり、唐車・檳榔毛車・網代車などの別が乗り手の身分を表したと伝わる。賀茂祭などの物見では場所の取り合いが起こり、車の前後をめぐる「車争い」が後世の物語にも描かれたという。速さよりも揺れぬ歩みが尊ばれ、牛飼の技量が車の格を支えたとされる。治暦二年は一〇六六年(治暦は一〇六五〜一〇六九年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。本話の人物・会話・情景は創作。

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