第 118 話文化歌合の夜、引き分けと判じられた一首の裏に、幾度も書き潰した跡があった
〜秤にかけられることは、詠み手にとって何を意味したのか〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
「……左、勝ち」
判者の低い声が落ちると、扇のかげで、誰かがちいさく息を呑んだ。右方の詠み手が、膝の上の料紙を、そっと裏返す。幾晩も練った三十一文字が、その一言で、しまわれていく。
われは末席で、灯心の焦げを爪先で落としながら、内心、可笑しかった。花を見て、月を仰いで、胸からこぼれた言葉を人前に並べ、どちらが上か下かと裁く。ずいぶん荒っぽいことをするものだ、と。
だが、そのわけを、われはまだ知らなかった。
◇ ◇ ◇
長元八年(一〇三五年)の春、その夜、内裏で催された歌合が、にわかにわれを引きずり込んだ。もとより、われは灯を扱う役ではない。定めの灯番が急な差し込みで臥せり、人手が足りぬと、渡り廊下を通りかかったわれが呼び止められたのだ。「断るな」の一声で、灯を渡され、われは末席へ押し込まれた。
歌合は、人を左と右の二手に分け、同じ題で詠んだ歌を一番ずつ番いにして優劣を競う遊びだ。勝ったほうに点が入り、負けたほうは黙って引き下がる。題はあらかじめ決められ、春であれば、霞、鶯、桜、と一つずつ進む。詠み手は幾日も前から、その一首に心を砕くのだという。
その夜の催しは、とりわけ大がかりなものだった。左方、右方の詠み手はそれぞれ幾人もの供を連れ、控えの間から次の番が呼ばれるたび、衣ずれの音が波のように動いた。御簾のおくに、いとも高きお方がおわす。左方、右方それぞれに選びぬかれた詠み手が並び、装束の色まで左右で分けて、まるで戦の備えのようだった。州浜という、洲や磯をかたどった台に、銀の州浜、金の州浜と、贅を尽くした飾りがしつらえてある。州浜の磯には貝をかたどった細工が並び、灯の火が映るたび、波打ち際が本当に濡れて光っているように見えた。料紙の色あいから、それを結ぶ糸の撚りまで、左右が競っていた。薫きしめた香が幾種もまじりあい、座のすみずみまで満ちていた。早春の夜気の冷たさのなかで、その甘くやわらかな匂いだけが、ふっとあたたかかった。
われは末席で、灯のそばに膝をついた。火が消えぬよう芯を直し、油を注ぎ足す。指の腹に油のぬめりが残り、灯心を爪先でつまんでは、燃えさしの黒い焦げを落とす。火のそばだけは、夜のしんとした冷えのなかで、ほのかにあたたかい。おかげで、歌のやりとりは間近に聞こえた。講師という役の者が、左方の歌を声に節をつけて読みあげ、続いて右方の歌を読みあげる。節のつけ方ひとつで、同じ歌が重くも軽くも響いた。一番ごとに、判者が、どちらが勝ちかを言い渡す。勝った側は扇のかげで小さく笑みをかわし、負けた側は唇をかんで黙り込む。

講師の声には、決まった節回しがあるらしかった。抑揚をゆるやかにすれば歌はやわらかく響き、語尾を張れば歌は強く響く。同じ三十一文字でも、読みあげる声ひとつで、座の受けとめかたが変わる。息継ぎの間の取り方ひとつも、若い講師と年配の講師とでは違っていた。灯番のわれがそれと分かるほど、その差ははっきりしていた。
はじめは、ただの華やかな遊びに見えた。けれど聞いているうちに、われの胸のうちが、すこしずつ変わっていった。
◇ ◇ ◇
夜が更け、霞の題、鶯の題と進み、いよいよその夜の山場、桜の題になった。
左方の歌が読みあげられる。散る桜を惜しむ一首だった。言葉が花びらのようにほどけて、宙にひらひらと舞うようだった。読み終えても、しばらく座がしんと静まりかえる。
右方の歌が読まれたのは、そのすぐあとだった。咲く花よりも、散ったあとの梢のさみしさを詠んだ一首だ。深い。だが、さきの左方の華やぎと比べると、地味に響くかもしれぬ——われのような無風流な者にすら、そう思われた。
判者は長いこと、目を閉じて沈黙していた。扇で口もとを隠し、何度も両の歌を口のうちで繰り返しているように見えた。かすかに唇だけが動き、声にならぬ言葉を、ひとつひとつ確かめているようだった。座の者みなが、その口もとを息をつめて見つめている。灯のそばのわれにも、その張りつめた静けさが、肌に痛いほど伝わってきた。庭のほうから、夜更けの風が一度、御簾を鳴らして過ぎていった。一首の歌の優劣を決めるのに、これほど人が真剣になるものかと、われは灯を直す手を、思わず止めていた。

やがて判者は、ゆっくりと目を開き、低い声で言った。
「……持(ぢ)、といたしましょう」
持というのは、引き分けのことだ。どちらにも甲乙つけがたい。座から、ほうっと吐息が漏れた。
だが、われが目を奪われたのは、勝負がついたあとの、右方のひとりの詠み手だった。
白髪のまじった、もう若くはない男だ。目尻に深い皺を刻み、頬はこけて、長い夜々を歌に費やしてきた者の顔をしていた。さきの右方の一首、散ったあとの梢を詠んだのは、この男であったらしい。男は判が言い渡されたそのとき、顔を伏せ、肩を小刻みに震わせていた。膝の上で握りしめた拳が、白くなるほど固い。引き分けだというのに、まるで深手を負ったかのように、声もなく打ちのめされている。
なぜだろう、とわれは思った。負けたのではない。引き分けたのだ。
催しが果てて、人々が三々五々と引きあげていくなか、その白髪の男だけが、州浜の飾りのかげに、ひとり残っていた。われは消えかけた灯を集めてまわる役で、男のそばを通りかかった。そのとき、男のたもとから、幾枚もの料紙がこぼれ落ちた。
拾い上げようとして、われは思わず手を止めた。どれも同じ一首を書いたものだった。だが、一枚として同じではない。「散ったあとの」という書き出しの上に、幾重にも線が引かれ、書き直した跡がある。ある紙には「さみしさ」の一語だけが、五度も六度も書き潰されていた。墨のにじみ、爪でこすった跡、破れかけて継ぎを当てた端。幾晩も、いや、幾月もかけて磨かれてきた一首だと、紙そのものが語っていた。
男は、われの手からそっと料紙を取り上げると、一枚も残さず懐にしまい込んだ。それから、勝ち残った一枚——今宵詠みあげたばかりの清書——だけを丁寧に折りたたみ、時をかけて皺を伸ばしてから、袂の奥深くへ収めた。
「……四十年、こうして書いては潰し、書いては潰ししてきた」
男はそう呟くと、それきり何も語らなかった。
われは、返す言葉を持たなかった。ただ、消えかけた灯を、ひとつ、男のそばに置きなおしながら、指先で、宙に幾筋か、あの料紙に幾重にも走っていた線をなぞってみた。数えるつもりもなかったのに、指は五度、六度と、勝手に折れ曲がった。
灯の集め役を終えて外に出ると、夜明けが近かった。御所の庭の桜は、もう盛りを過ぎて、白い花びらを夜気のなかにひそやかに散らしていた。あの白髪の男が書き潰した幾枚もの料紙が、われの目には、その散る花びらの数と、いつまでも重なって見えた。
◇ ◇ ◇
今も、歌や句を競う催しは、あちこちで開かれている。ある大会では、一晩で三百六十首が寄せられ、選者はそのうち五首だけを選ぶという。結果を待つ数分間、うなじのあたりが、じっとりと冷たくなる。声を発する者を、今はそうは呼ばない。——だが、あの夜、皆がひれ伏すように見つめていたのは、判者と呼ばれる、ただひとりの声だった。選ばれた五首だけが翌朝の一覧に載り、大勢の目に触れる。選ばれなかった三百五十五首の分だけ、うなじの冷たさは、いまも消えずに残っている。
参考文献・もっと詳しく
※ 歌合(うたあわせ)は、詠み手を左右の二方に分け、同じ題で詠んだ和歌を一番ずつ番(つが)えて優劣を競った平安期の遊宴・文芸の催しとされる。判者が勝・負・持(引き分け)を判じ、その判詞は和歌の評価基準を形づくり、後の歌論や勅撰集の選歌にも影響したと伝わる。宮中でも大がかりな歌合がたびたび催され、料紙・州浜などの装飾を左右で競った点も特色とされる。本話の催し・人物・会話・情景は創作であり、特定の歌合を描いたものではない。長元八年は一〇三五年(長元は一〇二八〜一〇三七年)。
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