借りものの屋形の襖に描かれた松第 128 話道具
道具室町のころ・京の屋形読了 約6分

借りものの屋形の襖に描かれた松

〜絵師はなぜ、動くだけの仕切りに、消えてゆく松を描いたのか〜

はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。

 骨が一枚。貼る紙は、下貼り、中貼り、上貼りと、少なくとも三重。  紙は一枚が小さいから、上貼りだけでも幾枚かを継ぐ。継ぎ目を糊で伏せて、床から鴨居かもいまで白がひとつに見えるまで刷毛を通す。それを閉て合わせれば、座敷の一面がまるごと白になる。

 その白を骨に貼ったのは、ボクだ。

◇ ◇ ◇

 宝徳ほうとく二年(一四五〇年)の秋のことだ。京の、さる屋形やかたの座敷で、おれは煤けた古い仕切りを、一枚ずつ溝から外していた。

 長らく空いていた屋形を、新しい主が借り受けて住まいに直すという。柱は黒ずみ、板敷きは踏むたびに軋む。間を分けるものといえば、板の遣戸やりどが二枚と、骨をのぞかせた紙の仕切りが幾枚か。紙はあちこち破れ、破れ目から向こうの暗がりが、ぽっかりと覗いていた。外した骨を日に透かすと、歪んだ框かまちと緩んだ桟さんがすぐに知れた。古い紙を剥がすと、その下から、さらに古い紙が出てきた。二重、三重。幾代か前の貼り替えが、みな白のままで重なっている。この屋形では、そこへ何かを描かせたことがなかったらしい。使える骨は削って使い、駄目な骨は新しく組む。刃を当てて削ると、木の香が、かびくさい座敷にほのかに立った。

 紙は紙屋から入れた。糊は鍋でとろりと煮る。煮すぎれば固くなって紙を引きつらせ、薄ければ乾いたあとで浮く。その日の紙の厚みで、火の加減を変える。荒い紙で下貼りをし、中貼りを当て、糊が乾くのを待っては、また一枚を重ねる。上貼りは薄い白の紙を幾枚も継いで、継ぎ目に糊を薄く伏せ、刷毛で空気を追い出しながら貼る。手のひらにはいつも糊の匂いが染みついていた。糊が乾いて、ぴんと張った白い面が、薄暗い座敷にいくつも立ち並んだ。指で軽く弾くと、ぽん、と乾いた音が返る。

 そこへ、屋形の主が絵師を寄こした。松を描け、と言い置いていったのだそうだ。師匠の代わりだといって来たのは、まだ若い男だった。屏風びょうぶや掛物なら幾つも描いたが、閉てたり引いたりする物に描くのは初めてだという。

挿絵:そこへ、屋形の主が絵師を寄こした

 絵師は立ち並ぶ白の前を行ったり来たりして、やがておれのそばへ来た。

 「経師きょうじどの。紙の継ぎ目は、どこにござる。幾枚も継いであるはずが、目で追っても見つからぬ」

 おれは答えずに、絵師の手を取って、面の中ほどへ当てさせた。指の腹でなぞれば、そこにわずかな段がある。目には見えぬが、手には分かる。

 「筆が引っかかりまする」  「上から下へ刷けば、引っかかりませぬ。横へ引くなら、継ぎ目に沿うて引かれるがよい」

 絵師はうなずいて、それから、また別のことを訊いた。

 「閉てたまま描くのか、外して描くのか」

 おれは端の一枚を溝から抜いて、片手で持ち上げてみせた。骨は軽い。片手で足りる。床へ寝かせれば、それはただの白い板になる。そのまま溝へ戻して、また閉てる。

 「外せば、一枚は一枚に戻りまする。描くときは寝かせてなされ。ただ、筆の止まるたびに閉てて、合わせて見られよ」

 絵師はしばらく黙っていた。

 「では、一枚ずつ描くのでござろうか。四枚あれば、四つの絵か」

 おれは黙って、開け放してあった四枚を、順に閉て合わせた。すいと寄せ、すいと引く。骨は軽い。四枚の白が寄って、床から鴨居まで、壁のようにひとつになる。継ぎ目は襖と襖のあいだに、細い筋になって立つだけだ。

 「閉てて、ご覧なされ。一枚ずつの仕切りではござらぬ」

 絵師は白の前に座りこんだ。「閉てれば、ひとつか」と低く言って、そのまま動かなくなった。日が傾いて白がほんのり赤らみ、やがて藍に沈むまで、その背は動かなかった。

 その背を眺めて、おれはひとつうなずいた。松の山を四方に負った座敷なら、これまで幾つも目にしてきた。あれらの根は、こんな煤けた借りものの屋形の、まだ何も描かれぬ白の前だったのか、と。

 その晩、主の入るまでに貼り替える襖がまだ幾枚も残っているのに気づいて、おれは糊の鍋を火から下ろしそこね、底を焦がした。

◇ ◇ ◇

 翌る朝から絵師は、来る日も来る日も、その面に向かった。

 朝まだき、まず墨を磨る。硯すずりに落とした水へ、ゆっくりと墨をまわす音が、しんとした座敷に長く続く。墨の匂いが部屋に満ちると、絵師は左の一枚を床へ寝かせ、太い筆をたっぷりとふくませて、その裾から一本の松を起こした。描いては溝へ立て、閉てて合わせ、離れて眺めては、また寝かせる。幹はうねりながら立ちのぼり、二枚目、三枚目の白へと枝を渡らせていく。あるときは穂先をぴたりと立てて細い葉を散らし、あるときは筆の腹を寝かせて、ひと息に幹の影を刷く。近い松はくっきりと、遠い松はうっすらと。ただ白かった紙の上に、奥行きまでもが立ちのぼってくる。絵師の筆が継ぎ目のうえを通るたびに、おれは手を止めて見ていたが、筆はいちども引っかからなかった。

挿絵:朝まだき、まず墨を磨る

 三枚目にかかったところで、絵師の筆が止まった。

 「与一どの。ここは、どうしたものか」

 枝を渡らせたい所に、ちょうど引手ひきてが付く。閉てるたび、開けるたび、人の手がかかる所だ。おれは何も言わずに、その一枚をすいと引いた。引手のあたりが隣の襖の裏へ滑りこんで、枝の途中が隠れる。また閉てる。枝が戻る。

 「そこは手の当たる所。墨は手で剥げまする。枝はそこを避けて、空けておかれるがよい」

 絵師は少し考えて、引手の周りを霞にした。枝がふと途切れて、隣の一枚でまた続く。その途切れが霞に隠れたように見えるのは、おれの知恵ではない。絵師のものだ。

 日が過ぎるごとに座敷は変わっていった。はじめは一本きりだった松が二本になり三本になり、やがて裾に岩が据わって波が寄せた。墨の匂いは柱にまで染みて、そばを通るたびに鼻をくすぐった。この骨と、この糊と、この墨だけで、それをやってのけている。おれは用もなく座敷を覗きにいっては、きのうより伸びた枝を数えた。

◇ ◇ ◇

 絵が仕上がった日、屋形の主が、はじめてその座敷へ通された。

 襖を閉て合わせると、薄暗い座敷の正面が、墨の松に覆われていた。主はしばし言葉もなく、立ちつくしていた。座敷にはまだ、かすかに墨の匂いが残っている。

 主は松の根方に目を留めて、それから端から端まで、ゆっくりと見渡した。絵は継ぎ目の筋を越えて、途切れず続いていた。

 やがて主は、松の幹に手をやって、おれのほうへ向いた。

 「見事だ。だが、これは引けば動き、外せば取り払われるものであろう。せっかくの松も、外してしまえば間ごと消える。壁に描かせればよかったのではないか」

 おれは答えずに、主の手が触れている一枚を、そっと引いた。木の溝を滑るさらりとした音がして、松のあいだに、障子越しの庭の秋の光がすうと差しこんだ。閉てたままの隣の松は、その光に並べられて、墨の色がひときわ深く見えた。おれはまた閉てた。松林がもとに戻り、座敷はふたたび墨の山にこもる。

 「夏は外して風を通し、冬は閉てて松にこもる。壁は、動きませぬ」

 主は返事をしなかった。かわりに自分で襖を引き、閉て、また引いた。そのたびに変わる座敷の景色を、主は飽きもせず眺めていた。絵師は座敷の隅で、墨の乾いた筆を、いつまでも洗わずに握っていた。

◇ ◇ ◇

 今も、古い襖の引手に顔を寄せると、匂いがする。日に灼けた紙のかさついた匂いと、その奥に、古い墨の、ほの苦い匂い。息を吸うと、鼻先に紙の粉が少しつく。

参考文献・もっと詳しく

※ 部屋を仕切る建具は、もとは衝立や屏風、几帳のような置くものや、板の遣戸が用いられたが、軽い木の骨に紙を貼り、敷居・鴨居の溝に沿って引き動かせる仕切りが広まり、これが襖(襖障子)になっていったとされる。やがてその白い面が絵を描く場として重んじられ、閉て合わせて一続きの障屏画となる座敷の意匠が、中世から近世にかけて育ったと伝わる。宝徳二年は一四五〇年(宝徳は一四四九〜一四五二年)。※本文の人物・会話・情景は創作。

当サイトは Amazon アソシエイト・プログラムの参加者です。上記リンク経由の購入で当サイトに収益が発生する場合があります。

この話が続いてほしいと思ったら、心ばかりの応援をしていただけます。見返りのない、任意の支援です。

このサイトを応援する →
同じテーマの話
道具乙丸の五本骨——かわほりの扇ひとつが仕上がるまで道具邸にただ一枚の鏡に、姫がはじめて見た顔——自分を見るのが、まだ稀だったころの鏡のこと道具堺の店先で見た、褐色の珠と、白い木肌の珠
同じ時代の話
宗教西国三十三所、旅人たちが道々に残した草鞋の山文化山あいの寺で、夜明け前に鐘楼へのぼる、ひとりの男食三輪の里の縄に結ばれた印は、何を数えていたのか