第 122 話食羊のいない羊羹、禅寺の台所で重ねた十一度の作り直し
〜肉を持たぬ椀に宿った重みは、だれも数えなかった〜
はじめて読む方へ——語り部「ボク」がなぜ千年を渡り歩いているのかは、プロローグにあります。
十一度、作り直した末に、羊はどこにもいなくなっていた。豆は一升、粉は一合足らず、甘葛はほんのひと匙。京の禅寺の台所の隅に、そう書きつけた古い帳面が、埃をかぶって置かれていた。表紙は手垢で黒ずみ、頁の端は幾度もめくられて丸まっていた。
ボクがその帳面を手に取ったのは、雇われ仕事でその寺へ入った、寒い冬のことだった。
◇ ◇ ◇
応永二十年(一四一三年)の冬のことだ。おれは京の、とある禅寺の庫裏へ、その冬だけの雇われ仕事で入っていた。歳はもう三十に近い。定まった宿は持たず、仕事のある寺や商家を渡り歩く、そういう身の上だった。この寺には、師走から如月までという約束だった。
冬の庫裏は、暗くて広くて、底冷えがした。土間に立つと、足の裏から冷えが這いのぼってくる。夜明け前に井戸の水を汲むと、桶の縁に薄い氷が張っていることもあった。それでも竈の前だけは別で、薪のはぜる音と、湯の沸く湯気とで、ほんのりとあたたかい。おれの役目は、その竈に薪をくべ、水を汲み、灰をかき、台所頭の言いつけをこなすことだった。台所には、村から通いで来る下男が二人いたが、渡りの身のおれとは、挨拶を交わすだけの間柄だった。長居をするつもりもなければ、される側になるつもりもない。それでよかった。
三日目の朝、台所頭は、竈の脇の棚に置かれた古い帳面を顎で示した。
「これを、もう一度やってみろ。何人もが試して、しくじった代物だ。おれは、もう手を出さん」
そう言い残すと、台所頭は米を研ぎに行ってしまった。おれは、埃をかぶった帳面を手に取った。
◇ ◇ ◇
帳面の表紙には、震える字でこう書きつけてあった。海の向こうの宋の地で、羊の肉を煮た羹という膳を口にしたことのある先代の和尚が、精進の膳でもあの心持ちを写したい、と言い出したのだという。だが、殺生を戒める寺だ。羊は屠れぬ。肉は使えぬ。それでも、あの椀の温もりだけは、なんとか写してみよ——それが、書き付けの主旨だった。
余白には、聞き慣れぬ言葉もいくつか書き添えられていた。点心——修行の合間に小腹を満たす、軽い食い物のことだと、小さな註がついている。羊羹も、そのひとつに数えられるはずだった、とある。
頁をめくると、几帳面な字と乱暴な字とが入り混じっていた。小麦の粉だけを練った跡には、大きな線が引かれていた。葛の粉だけを固めた跡にも、同じ線。里芋を潰して混ぜた跡、干し柿を刻んで加えた跡——どれにも、同じしくじりの印がついていた。最後の頁の隅に、蚊の鳴くような小さな字で、こう書き足されていた。

「あまし、少々」
それきり、何も記されていない。字の勢いからして、書き足した者は、その先を試す間もなく、この寺を去ったのかもしれなかった。
まずは、小豆を炊くところから始めた。前の晩から水に浸しておいた赤い豆を、ことことと長いこと煮る。やわらかく煮えた豆を、すり鉢でごりごりと潰す。すり粉木を握る腕が、すぐにだるくなった。指のかじかみがひどい朝で、ふと、この先も幾度この寒さを繰り返すのだろう、という思いが胸をよぎった。竈の熱が、すぐにそれを押し流した。
潰した豆を汁に溶かして椀へよそうと、ほのかに湯気が立つ。だが、それではただの豆の汁で、湯気が冷めればすぐに薄れてしまう。帳面の線の意味が、これでわかった。噛みごたえが要る。おれは帳面にある失敗の跡を頼りに、小麦の粉と葛の粉を、汁へ練り込んでみた。粉を加えると、汁はみるみる重くなって、しゃもじを動かす手にずしりと応えた。それを蒸籠へ移し、竈にかけて蒸し固める。湯気がもうもうと立ちのぼり、台所の梁まで白く曇った。
蒸しあがったものを小刀で切ってみると、ぷるりと弾む、もっちりとした一片になった。羊の肉とは似ても似つかぬが、たしかに噛みごたえがある。だが、口に含むと、粉くさいばかりで、ちっとも旨くない。塩を振っても、味噌を溶いても、菜を刻んで添えても、物足りなさは変わらなかった。何度作り直しても、同じところで行き詰まる。帳面に線が並ぶわけが、身にしみてわかった。
五度目には、粉の量を思い切って倍にしてみた。たしかに固さは増したが、今度は喉に重くまとわりつくばかりで、なおのこと不味くなった。粉を増やせばいいという話でもないらしい。
六度目、七度目、八度目と、味を変え、量を変えても、どれもぱっとしなかった。九度目もやはりしくじり、十度目をしくじったとき、棚の奥に、口の欠けた小さな甕があるのに気づいた。縁に飴色の染みがこびりついていて、覚えのある甘い匂いがする。甘葛の汁だ。だれかが使いさしのまま、しまい込んだものらしい。

「あまし、少々」
帳面の走り書きが、頭をよぎった。これのことか。
十一度目に、その甘葛の汁を、ほんの少しだけ垂らしてみた。すると、蒸し固めた豆の片が、ぐっと深い味へ変わった。小豆のもとからの甘みと、甘葛の甘さとが重なって、舌の上でほろりとほどける。塩や味噌でととのえるより、よほど据わりがよい。おれは、もうひと匙、垂らしてみた。粉くささが消え、代わりに、腹の底があたたまるような甘さが残った。羊の肉を写そうとして練り固めた一片は、いつのまにか、まるきり別のものに化けていた。すり鉢に押しつけていた腕の痺れも、かじかんだ指の感覚も、そのときはすっかり忘れていた。
◇ ◇ ◇
その甘い片が、寺で本当に役に立ったのは、茶の席だった。
そのころ、禅寺では客をもてなすのに、濃い茶を点てる作法が広まりはじめていた。茶筅をしゃかしゃかと振り、深い緑の泡を立てる。だが、苦く渋い茶を、空きっ腹へただ流し込むのは、なかなかこたえる。台所頭は、その茶のかたわらへ、おれの拵えた甘い片を、小さく四角く切って添えた。黒い盆に、暗い艶の一片と、緑の茶。並べてみると、それだけで妙に据わりがよかった。客をもてなす座敷には、炭が赤々と熾きていた。障子越しの薄い陽が差し込んで、盆の上の一片に、艶やかな影を落としている。
招かれた客が、茶を一口、含む。舌が渋みに引き締まる。そこへ、あの甘い片をひとつ。渋みと甘みとが口の中で溶けあって、なんともいえぬ、まろやかな後味になる。甘さだけでは飽き、渋さだけでは舌が疲れる。その両方が、たがいの角を取りあって、ちょうどよい塩梅へおさまるのだ。客は、目を細めて、ほうと息を吐いた。
「これは、茶によう合う。なんという食い物だ」
台所頭が、もとは羊の羹であったと答えると、客は箸を止め、まさかと目を丸くした。羊の肉のかけらもない、この甘い片が——と、しげしげと眺める。
「上手いこと化けたものだ」
客は、笑いながらつぶやいた。
――この名を、おれは知っている気がした。何百年ものちの世でも、菓子屋の店先に積まれている、あの黒く艶やかな一棹と、同じものだ、と。
台所頭は、給仕の隅にいるおれへちらりと目をやり、それだけで何も言わずに、また茶を注ぎに行った。
◇ ◇ ◇
帳面に書き足されたのは、豆の升目と、甘葛のひと匙、それだけだった。すり鉢を抱えた二の腕の重みも、かじかんだ指のひび割れも、その頁のどこにもなかった。台所頭は帳面を棚へ戻すと、それきり取り出さなかった。十一度分の灰と、十一度分の煮汁の匂いだけが、あの冬の庫裏に染みついて消えなかった。すり鉢も、すり粉木も、いつもの場所に戻され、翌朝にはまた別の下働きの手に渡っていた。
ボクはその冬の終わりに、寺を出た。次の仕事へ向かうのに、挨拶をする相手も、決まった宿もなかった。
参考文献・もっと詳しく
※ 羊羹は、もともと中国で羊の肉を煮込んだ羹(あつもの=熱い汁物)であったが、肉食を避ける禅僧によって小豆や小麦粉・葛粉などで作る点心へと写し替えられ、やがて蒸し固めた甘い菓子(蒸し羊羹)へと変じていったとされる。茶の湯の広まりとともに茶席の菓子として育ち、のちに砂糖や寒天を用いた練り羊羹へと発展したと伝わる。応永二十年は一四一三年(応永は一三九四〜一四二八年)。※本文の人物・会話・情景は創作。
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