羊の汁と呼ばれた点心が、肉を捨て豆を煮固めて、茶のかたわらの甘味になっていった日のこと122
室町のころ・京の禅寺読了 約8

羊の汁と呼ばれた点心が、肉を捨て豆を煮固めて、茶のかたわらの甘味になっていった日のこと

羊の名を負いながら羊の肉を持たぬ一椀は、どうして甘い練り物に化けていったのか

 羊羹ようかんというのは、いまでこそ茶のかたわらに置かれる、暗い艶の甘い練り物だ。

 黒みがかった一さおを小刀で切れば、断面はしっとりと濡れて、小豆の濃い甘さがねっとりと舌へまとわりつく。茶の苦みと、これほど添うものもない。だれもが、生まれながらの甘味だと思って口へ運ぶ。

 ところが、その名をよく見てやってほしい。羊の羹、と書く。羹とは、肉や菜を煮込んだ熱い汁のことだ。つまりこの甘味は、もとをただせば、羊の肉を煮た一椀の汁だったのさ。甘くもなければ、菓子でもない。湯気の立つ、れっきとした料理だった。

 ボクが見てきたのは、その羊の汁が、肉を捨て、豆を煮固め、やがて茶のかたわらの甘味へと化けていく、その移り変わりだ。海の向こうから渡ってきた一椀が、この国の禅寺の台所で、まるで別のものへと姿を変えていく、そのあたりのことさ。

◇ ◇ ◇

 応永おうえい二十年(一四一三年)の冬のことだ。おれは京の、とある禅寺の庫裏くりへ、髪を剃らぬ童形どうぎょうのまま、下働きの童として奉公していた。

 冬の庫裏は、暗くて広くて、底冷えがした。土間に立つと、足の裏から冷えが這いのぼってくる。それでもかまどの前だけは別で、薪のはぜる音と、湯の沸く湯気とで、ほんのりとあたたかい。おれの役目は、その竈に薪をくべ、水を汲み、灰をかき、台所頭の言いつけを駆けまわってこなすことだった。朝は暗いうちから起きて井戸の水を汲み、指がかじかんで茶碗を取り落としそうになる。そういう毎日だった。

 その寺には、海の向こうの宋の地で長く学んできた、年老いた僧がいた。背は丸く、手の甲には染みが浮いていたが、目だけは童のように澄んでいた。和尚は唐土の言葉も達者で、向こうの寺で食べたという、見たこともない料理の名をいくつも知っていた。点心てんしん、というのもそのひとつだ。修行の合間に小腹を満たす、軽い食い物のことだと和尚は言った。その名を口にするとき、和尚はいつも、遠い土地を懐かしむような顔をした。

 ある日、冷たい雨が屋根を叩く昼下がりに、その和尚が、おれたち下働きを台所へ呼んで、こう言いつけた。

 「向こうの寺でな、羊羹というものを食うた。羊の肉を煮た、熱い汁よ。冬の寒い日に、あれを啜ると、腹の底からあたたまったものだ。湯気の向こうに、向こうの山が見えるようでな」

 おれは、生唾を呑んだ。肉の汁、と聞いただけで、ひもじい腹がぐうと鳴った。竈の火に照らされた和尚の顔を、おれはまじまじと見上げた。けれど和尚は、首を静かに横へ振った。

 「だがな、この寺では羊は屠れぬ。生き物を殺めぬのが、おれたちの戒めだ。肉は使えぬ。それでも、あの椀の心持ちだけは、なんとか写してみたいのよ」

 肉なしで、肉の汁を写す。童のおれには、なんのことやら見当もつかなかった。ただ、和尚の声が妙に張っていたのだけは、覚えている。

◇ ◇ ◇

 そこからの和尚は、まるで童のように熱心だった。袖をたくし上げ、自ら竈の前にしゃがみこんで、台所頭のすることを覗きこんだ。

 まず台所頭が、小豆を炊いた。前の晩から水に浸しておいた赤い豆を、ことことと長いこと煮る。やわらかく煮えた豆を、すり鉢でごりごりと潰す。すり粉木を握るおれの腕が、すぐにだるくなった。潰した豆を汁に溶かして椀へよそうと、ほのかに湯気が立つ。けれど、それではただの豆の汁で、湯気が冷めればすぐに薄れてしまう。羊の肉のような、あの噛みごたえが出ない。すくっても、すくっても、椀の底へ流れていくばかりだ。

 和尚は腕を組んで、しばらく唸っていた。竈の火が、丸い背を赤く染めていた。やがて、こう言った。

 「肉の代わりに、歯ごたえを足せばよい。小麦の粉と、葛の粉を練り込んでみよ」

 言われるまま、台所頭が豆の汁へ小麦と葛を練り込んだ。粉を加えると、汁はみるみる重くなって、しゃもじを動かす手にずしりと応えた。それを蒸籠せいろへ移し、竈にかけて蒸し固める。湯気がもうもうと立ちのぼり、台所のまで白く曇った。しばらくして蒸籠の蓋を取ると、もわりと甘い匂いが台所いっぱいに広がった。蒸しあがったものを小刀で切ってみると、ぷるりと弾む、もっちりとした一片になった。指で押すと、わずかに沈んで、また持ちあがる。羊の肉とは似ても似つかぬが、たしかに噛みごたえがある。汁ではなく、箸でつまめる固まりだ。

 おれは、台所頭の目を盗んで、こっそり指の先で切れ端をつまみ、口へ放り込んでみた。まだほの温かい。豆の素朴な甘みと、葛のなめらかさが、ねっとりと舌に残る。噛むほどに、奥のほうから甘さがじわりとにじみ出てくる。喉を通ったあとも、甘さがほのかに尾を引いた。これは料理ではない。腹を満たすためというより、口を喜ばせるための、なにか別のものだ。童のおれにも、それだけはわかった。もうひと切れ、と手が伸びかけて、台所頭の咳払いに、おれはあわてて手を引っこめた。

 はじめのうちは、塩を加え、味噌を溶いて、刻んだ菜を添えた。あくまで料理の心持ちで、向こうの羊の汁へ近づけようとしていたのさ。塩を振れば、たしかに飯のおかずらしくはなる。けれど、どうにも物足りない。肉の脂の濃さ、あのこってりとした旨みが、どうしても出ないのだ。和尚は、椀を口へ運んでは、首をかしげていた。

 そこで和尚が、ふと甘葛あまづらの汁を垂らしてみた。とろりとした甘い汁を、ほんの少し。匙の先からゆっくりと落ちる、琥珀色のひと筋だ。

 すると、どうだろう。蒸し固めた豆の片が、ぐっと深い味へ変わった。小豆のもとからの甘みと、甘葛の甘さとが重なって、舌の上でほろりとほどける。塩や味噌でととのえるより、よほど据わりがよい。和尚は、もうひと匙、垂らした。

 「これは……もう、汁ではないな」

 和尚は、ひとり笑った。声を立てずに、肩を揺らして笑った。羊の肉を写そうとして練り固めた一片は、いつのまにか、肉の面影をすっかり脱ぎ捨てて、甘い食い物へと化けていたのだ。

◇ ◇ ◇

 その甘い片が、寺で本当に役に立ったのは、茶の席だった。

 そのころ、禅寺では客をもてなすのに、濃い茶を点てる作法が広まりはじめていた。茶筅ちゃせんをしゃかしゃかと振り、深い緑の泡を立てる。けれど、苦く渋い茶を、空きっ腹へただ流し込むのは、なかなかこたえる。慣れぬ客などは、ひと口含んで眉をひそめることもあった。和尚は、その茶のかたわらへ、例の蒸し固めた甘い片を、小さく四角く切って添えた。黒い盆に、暗い艶の一片と、緑の茶。並べてみると、それだけで妙に据わりがよかった。

 客が茶を一口、含む。舌が渋みに引き締まる。そこへ、あの甘い片をひとつ。すると、渋みと甘みとが口の中で溶けあって、なんともいえぬ、まろやかな後味になる。甘さだけでは飽きてしまう。渋さだけでは舌が疲れてしまう。その両方が、たがいの角を取りあって、ちょうどよい塩梅あんばいへおさまるのだ。客は、目を細めて、ほうと息を吐いた。

 「これは、茶によう合う。なんという食い物だ」

 和尚は、ただ笑って、もとは羊の汁であったと答えた。客は、まさかと首をかしげ、もう一度、暗い艶の一片をしげしげと眺めた。羊の肉のかけらもない、この甘い片が——と、半ば疑うような顔だ。羊の肉のかけらもない甘い片が、その名のなかにだけ、海の向こうの羊を残している——そう知って、客はいっそう面白がった。

 おれは、給仕の隅で膝をそろえながら、それを見て、妙な心持ちになった。和尚は、たしかに羊の汁を写そうとしていた。それなのに出来あがったのは、似ても似つかぬ甘い練り物だ。写し損なったはずのものが、写したものより、よほど人に喜ばれている。

 失われた羊の肉のことを、もう、だれも惜しまない。残ったのは、名と、茶に添う甘さだけだ。それでもこの一片は、たしかに海の向こうの一椀から、まっすぐにつながっていた。名のなかに、羊が一頭、ひっそりと隠れている。

◇ ◇ ◇

 羊の汁が、肉を捨て、豆を煮固め、甘葛をまとって、茶のかたわらの甘味になっていったのは、禅の作法とともに茶が広まっていった、このころのことだ。ボクは、その移り変わりを、いくつもの寺の台所で見てきた。

 やがてこの甘い片は、寺の外へも出ていった。砂糖が手に入りやすくなると、甘さはいっそう深くなり、寒天で煮固める作り方も育って、暗い艶の練り棹になっていったと伝わる。茶の席には、いつも、その一片があった。苦い茶と甘い羊羹——いまではあたりまえに並ぶこの取り合わせも、もとは寺の台所の、肉を使えぬ工夫から生まれたものさ。

 今では、羊羹を切りながら、その名のなかの羊を思う者は、もう、そうは多くない。甘い菓子は甘い菓子として、ただ口へ運ばれていく。

 それでも、とボクは思う。

 茶のかたわらで、暗い艶の一片を小刀で切るとき、その名を、ほんの少しだけ思い出してやってほしい。海の向こうの羊の汁を写そうとして、写し損なって、そうしてかえって人を喜ばせた、ひとりの老僧がいた。肉を捨てた一椀が、捨てたぶんだけ、別の甘さを手にしたのだ。

 羊羹は、ただ茶のかたわらに置かれているだけだ。小刀を入れれば、しっとりと濡れた断面を見せるばかりさ。それでも、その暗い艶の一片には、海を渡ってきた一椀の面影と、肉を使えぬ戒めのなかで甘さを探りあてた者たちの、地道な工夫が染み込んでいる。ボクは、そういうものが、好きなんだ。

参考文献・もっと詳しく

羊羹は、もともと中国で羊の肉を煮込んだ羹(あつもの=熱い汁物)であったが、肉食を避ける禅僧によって小豆や小麦粉・葛粉などで作る点心へと写し替えられ、やがて蒸し固めた甘い菓子(蒸し羊羹)へと変じていったとされる。茶の湯の広まりとともに茶席の菓子として育ち、のちに砂糖や寒天を用いた練り羊羹へと発展したと伝わる。応永二十年は一四一三年(応永は一三九四〜一四二八年)で、元号と西暦の対応は史実に整合する。※本文の人物・会話・情景は創作。

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